発達障害とほどよい生き方

発達障害当事者が、自分の特性を「言葉にして伝える」ことで、当事者も周りの人も少し楽になることを目指しています。

発達障害と「人より疲れやすいこと」について

発達障害があると、「同じ時間働いているはずなのに、人よりヘトヘトになる」「仕事が終わったあと、もう何もできない」ということがよくあります。

周りは仕事後に買い物をしたり、趣味を楽しんだり、友達とご飯に行ったりしているのに、自分は家に帰ってバタンキュー。休日もぐったりして寝て終わってしまい、「自分は怠けているだけなんじゃないか」と罪悪感を抱えてしまう人も少なくありません。

 

でも、発達障害の特性があると、「疲れやすさ」にはちゃんと理由があります。

 

仕事中、ただ作業をしているだけではありません。

・人の表情や機嫌を読み取ろうと気を張る

・ミスをしないよう、頭の中で何度も確認する

・曖昧な指示を必死に補完しながら動く

・雑音や人の声、光などの刺激を我慢し続ける

・予定変更やイレギュラーに対応しようとして頭をフル回転させる

 

こうした“見えない負荷”が重なっています。

周りからは同じ「8時間勤務」に見えても、脳の消耗度合いはまったく違う、ということがよくあります。

 

その結果、仕事が終わる頃には「体力」よりも先に「メンタルのエネルギー」が空っぽになります。

家に帰った瞬間、一気に力が抜けて動けなくなる。

「やりたいこと」は頭の中にたくさんあっても、体と心が追いつかない。

それを自分でも理解できず、「自分は他の人より劣っている」「社会人失格だ」と責めてしまう……このパターン、とても多いと感じます。

 

休日についても同じです。

平日にギリギリまで頑張っている分、休みの日になると一気に疲れが出やすくなります。

やりたいことリストはたくさんあるのに、布団から出られない。

起きたら夕方で、「また何もできなかった」と落ち込む。

それでもまた次の平日がやってくる。

この繰り返しで、自己肯定感が下がっていく人もいます。

 

ここで大事なのは、「疲れやすさ=根性なし」ではない、ということです。

発達特性があると、

・情報処理に時間とエネルギーがかかる

・感覚的な刺激を常に我慢している

・他人とのやりとりに神経を使い続けている

という状態が「ふつうの日常」になりがちです。

つまり、常に“人より重いリュックを背負って歩いている”ようなものです。

それなのに、自分だけを責め続けるのは、あまりにも酷だと思います。

 

じゃあどうすればいいのか。

私が意識しているのは、「自分のエネルギー残量を前提にして生活を組み立てる」という考え方です。

 

 

① 平日の「アフター5」に期待しすぎない

 

 

「仕事終わりにあれもこれもやろう」と予定を詰めるほど、できなかったときの自己嫌悪が強くなります。

・平日は「生きて帰れたら合格」にする日を作る

・どうしても用事がある日は、他の予定を削って負荷を調整する

くらいの感覚で、“余白ありき”のスケジュールにしておくと少し楽になります。

 

 

② 休日に「フル稼働の自分」を求めすぎない

 

 

休みの日も、「せっかくの休日なんだから有意義に過ごさなきゃ」と自分を追い込むとしんどくなります。

・午前中はひたすら休む

・午後は「これができたらOK」ということを一つだけ決める

・完璧な休日プランではなく「回復8割+ちょっと頑張る2割」くらいにする

 

こんなふうに、**「休むこと自体をタスク扱いにしない」**ことも大事だと感じます。

 

 

③ 体力面とメンタル面、どちらが消耗しているのかを意識する

 

 

発達障害があると、「体はまだ動けるのに、心と頭が動かない」という状態になりやすいです。

そんなときは、

・静かな場所で一人になる

・情報量の少ないこと(散歩、ぼーっとする、湯船につかるなど)をする

・スマホやSNSから一旦離れる

 

など、「頭と心を休める休憩」を意識すると、ただ寝るより回復することもあります。

 

 

④ 疲れやすさを、信頼できる人に少しだけ共有しておく

 

 

「仕事終わりは、人よりバッテリー切れになりやすい」

「休日は充電に時間がかかるタイプ」

これを、身近な人に少しだけ伝えておくと、「怠けている」「やる気がない」と誤解されにくくなります。

理解してくれる人が一人でもいると、「自分だけがおかしいわけじゃない」と思いやすくなります。

 

 

 

発達障害があると、「頑張っているのにすぐ疲れる自分」が嫌になることがあります。

でもそれは、「怠け」でも「甘え」でもなく、脳と神経にかかっている負荷が大きいからです。

 

人より疲れやすい自分を責めるのではなく、

「そのぶん消耗しながら、それでもここまでやってきた自分」

として、少しだけ見方を変えてあげられたらいいなと思います。